ダンナとわいの小さくて大きい文化の違い。
友達や、出会った人によく聞かれる質問がある。
🗽『ダンナと文化が違うから大変だよね〜?』🗽
正直、わいは、
ダンナとの間にあんまり文化の違いを
感じた事はなかった。
どちらかといえば、
人間としての大きいくくりでダンナをみていたので
「ダンナは、こーゆうタイプの人なんだー。」
くらいである。
ダンナもいいお年頃だが、
わいからすれば、
興味ある事に青い目をキラキラさせる、
ただの大人小学生である。
だが最近、
ダンナとの間に
鈍いわいが、文化の違いを
はじめて感じたのである。
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例えば。。。大きい「違い」とは、
人種が違う
肌の色の違う
宗教が違う
これらを指すのだろうか。
たとえ、
本当の意味で’違い‘を理解できてなくとも、
今の時代は、
ニュースや、
SNSを通して、知る事ができる。
だから割と心構えができて、
相手を尊重する事が、
わいとしては、難しくない。
「そーゆうもんなんだんな。」
とすんなり受け入れることができる。
NYにいた時は特に感じていた。
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わいが、
ダンナとの小さくて大きい違いに気づいたのは、
ダンナの発言だった。
今ダンナは日本にいる。
わいのおかーちゃん、
おとーちゃんと1ヶ月ほど一緒だ。
わいは気づかなかったのである。
アジア人の両親とゆうのは、
子供が幾つになっても、
子供なのである。
‘何が食べたい?’
から始まり、
車で出かけようとすると、
‘あの四つ角はあぶないから、気をつけるんやでー。’
とか、ひとつひとつ、気にかける。
わいからすれば、実家とは、そうゆうものである。
そこに、愛がいっぱいひそんでいるのである。
が、
ダンナにすれば、、
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『I’m not 9 years old …』
『ワタシハ、9歳のキッズじゃない。』
。。になるのである。。
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子供を相手にするように自分に接することが理解できない。らしい。
アメリカでは子供を個人として、大事にする。
ワイとダンナの家族。。
この小さくて大事なコミュニティが
根本的に違ったのである。
どうやら、
わいの親が、愛情をもってダンナにしていることが、
ダンナには少し窮屈に感じているようだ。
その事が、
わいにとったら、
悲しく感じるのである。
複雑な気持ちになるのである。
そんなことに気づいた日だった。
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🗽『ダンナと文化が違うから大変だよね〜?』🗽
(ワイの答えはこうである。)
文化の違いが大変なのではない。
わいは、
この文化の違いに
心が痛んでしまうのである。
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